みなさんからの反響

 

 メールをいただいたみなさんの反響を抜粋して掲載します。

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1999年5月分

No.1[インフルエンザ脳症で娘さんを亡くされたお母さんから]

 HP読みました
 立石さん(インフルエンザ・脳症 親の会「小さないのち」の主宰者)の紹介であやかちゃんのHPを知りました。
 私は3ヶ月前に1歳3ヶ月の娘をインフルエンザ脳症で亡くしました。

 お母さんの言葉  私の胸に一つ一つ突き刺さるようでした。
 (抱きしめる事それは、私に安らぎを与え、私を癒す)
 涙が止まりませんでした。
 今日久しぶりに娘の写真を見ました。娘は笑っていました。
 私は何もできなかったけど、あやかちゃんが生きている事は同じ病気にかかった人達にとって勇気の出る事だと思います。
 娘も空から応援してるような気がします。また書かせてください。

[返事]

 大切なお子さんを亡くされたことを、お悔やみ申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。
 ホームページを読んでいただいて、また感想を送っていただいて、本当に嬉しく思います。感想をお寄せくださった記念すべきおひとりめです。私にとって、また新しい出会いが会ったことを、喜んでいます。

 ホームページの私の思いに、理解を示していただけて、受け入れてくださって、ありがとうございます。
 しかし、命が助かり、後遺症を残して生きている者の体験は、目にされて、お辛かったのではなかろうかと、案じています。まして、まだ日は浅いのです。どんなお気持ちで毎日を過ごされているのかと想像すると、本当に胸がしめつけられます。
 彩花が発病して3ヶ月のころ、私はまだ悲嘆に暮れ、絶望し、泣き暮らす日々を送っていました。

 もしお力になれることがあるなら、お気持ちお聞かせいただけるなら、と思います。
 亡くなられた方と、後遺症を持って生きている者、分かり合うことに困難があるかもしれません。
 私は、彩花だけではない、どこかにおられるはずと、同じような体験をされた方をずっと探していました。分かり合うこと、分かち合うことを、求めつづけてきました。でもなかなかめぐり合うことができませんでした。1年たってやっと出会えたのが、この会「小さないのち」だったのです。
 普通、遺族と患者は交わることがないと思います。この会は両者が交わることのできる貴重な会だと思っています。
 インフルエンザ脳症という共通項のもと、一緒に歩ませてくださることを願っています。  

[同じお母さんから]

 メールありがとうございます。

 HP本当に感動しました。
 私は、会報を見ても、あやかちゃんのHPを見てもいつも思う事は、私は皆さんのように子どものために本当にベストを尽くしたんだろうか。と自問しています。今思出だせる事は、入院してからの事ばかりで、そのとき自分がどうしたかとかよく思い出せないのが現状です。

 娘は発熱後、一度は下がりましたがまた熱が上がり、坐薬も痙攣止めも効かず、救急外来に行きましたが、人が多くてなかなか見てもらえず、41度まで熱が上がり痙攣を起こし待合中に私のうでの中で意識がなくなりました。
 それから、すぐ脳死状態になり、2度と目をあけてはくれませんでした。
 入院中は、娘の体を拭き、話しかけ、おむつをかえ、いろいろ娘とかかわれた事で自分なりに、できる事をできた。そう言う気持ちでいっぱいでした。
 でも娘の形が亡くなり、いろんな人と出会い、その方たちの体験を聞いたり、私の体験を聞かれたりするたびに本当にこれで良かったのか。と考えています。

 私は、あやかちゃんのHPを見て、あやかちゃんが生きてて良かったと心から思いました。本当です。あやかちゃんが生きてるからこそもしかしたら、会の意味があるのかもしれません。そう思うのは、もしどの子も残念な結果だったら、希望って無いと思います。誰かががんばってるからこそそこについていこうって思うんではないでしょうか。もしかしたら、私は娘とあやかちゃんをダブらせてしまってるのかもしれません。

 また書きます。一度お会いしたいですね。さようなら

[返事]

 お返事いただきましてありがとうございました。

 亡くされてまだ日が浅いのに、お気持ちしっかりしておられますね。
 こんなこと決してあってほしくなかったことだから、どうしても後悔が残ってしまいますよね、こうならずに済んだ方法探してしまいますよね。

 その時は、ほんとに急なことで気持ちは動転します。よく覚えておられないって、当然のことのように思います。私も、発病翌日から手帳に書きとめ出すまでのことは、あまり記憶にも記録にも残っていません。

 大切な我が子を襲った最大の危機、そのときに最善を尽くさないはずがありません。その時々にできる限りのことはされたに違いない、私はそう思います。

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1999年6月分

No.2[脳炎を発症された娘さんを持つお母さんから]

 はじめまして。
 職業は耳鼻科の開業医です。
娘は22歳(大学院一年生)で発病いたしました。

  こういう仕事をしているにもかかわらず、この三年間は「真っ暗なトンネル」の中を歩い いるような日々でした。 話もできず、訳のわからないことを言いつづけ、食事も摂らない日が続きました。 父親すら押さえられない力で暴れて困った日々もありました。
 
しかし、この六ヶ月前から回復してきたのです。話もできるようになりましたし、なによりも二度とみられないと思っていた笑顔や表情が又見ることができるようになったのです。

 あやかちゃんも必ず元のように治ると思います。希望をもって頑張ってください。

[返事] 

 メールいただきまして、ありがとうございました。

 「真っ黒なトンネル」ですよね。我が子を襲った突然の病気、そして後遺症。我が人生を、大きく揺さぶる出来事です。

 私たちも1年経過してやっと、気持ちも落ちつきつつありますが、ここに至るまでの道のりは、たやすいものではありませんでした。
 娘、彩花にも本当に信じられないほどの力で暴れまわったという経過があり、親の手で抑えつけたときには涙があふれました。
 そんな状態を経て、少しずつではありますが、回復してきています。

 娘さんが半年前から回復されたとのこと、たいへん心強く思います。私たちも彩花の可能性を、信じ続けてやりたいと思っています。
 できましたら、発病当初から3年間の経過を、もう少し詳しく教えていただけませんでしょうか。

 ところで、お医者さまとのことですので、お伺いするのですが、脳炎、脳症、インフルエンザなどの参考となる文献をご存知でしたら、お教えいただけませんでしょうか。特にインフルエンザ脳症については、厚生省の実態調査のとりまとめ段階で一般向けの書籍にはほとんど書かれていないように思います。厚生省や医師会の動きなど、最新の情報もお持ちでしたら、お教えいただけるとありがたいのですが・・・

 今後も、情報交換をさせてもらえるとありがたいです。どうぞよろしくお願いします。


No.3[インフルエンザ脳症の後遺症を持つ息子さんのお父さんから]

はじめまして
インフルエンザ脳症のホ−ムペ−ジを読みました。

 実は私の小学校3年になる息子も今年1月31日に痙攣を起こし、1ヶ月間入院し後遺症を残し現在に至ってます。体自体は元気になり歩くことも走ることも出来るようになりましたが、脳に障害が残り、話すことや言葉の意味を理解することが出来ず、週に1回程度、言語訓練に通っています。IQテストをした結果2才半くらいの知能だそうです。
 小学校には、女房が毎日ついて行って側に付き添ってます。授業中うろうろしてどこかいなくなるためです。今このままこの学校にいるべきか、養護学校へ入れるべきか考えています。校長先生は養護学校へ入れることを、強く勧めます。いずれにしても子供にとってどっちが良いか、良く考えて決めていきたいと思います。

 最近の新聞発表でも今年はたくさんの方がインフルエンザ脳症にかかったと発表がありました。
亡くなった方やもっと重い後遺症に悩んでる方もいることを知り、これからも親子共々がんばっていきたいと思っています。子供の可能性を信じ前を見て進んで行きます。

 [返事]

 ホームページを見てくださり、メールをいただけた事、本当に喜んでいます。ありがとうございます。

 今年も多くの方がインフルエンザ脳炎・脳症の犠牲になられているという報道に本当に胸がしめつけられるような思いでおりました。発症から1ヶ月にわたる入院生活、言葉に言い尽くせないほど、大変だった事と思います。

 私たちの娘も、発達検査をした結果、乳児のレベルと言われ、療育手帳をいただきました。すでにご存知の事とは思いますが、この手帳があることで、手当金や福祉サービスが受けられます。

 それにしても、退院後の学校生活も大変そうですね。我が娘は来春就学です。小学校の障害児学級にするか養護学校にするか、頭を痛めています。周囲の方は養護学校を勧める方が多いのですが、目の前に地元の小学校があり、割り切れない思いです。

 これからもいろいろと情報交換をさせていただければと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いします。

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1999年7月分

No.4[インフルエンザ脳症の後遺症を持つ娘さんのお父さんから]

はじめまして、こんばんは。
HP拝見いたしました。

 私の家族は、妻と2人の娘がいます。
 実は、今年の3月に長女(2歳)がインフルエンザ脳症にかかり、一命は取り留めたものの意識が回復せず現在も入院しております。

 このHPは5月の終わりに放送された報道番組でインフルエンザ脳症親の会「小さないのち」の存在を知り、なにか情報がないかと探しているときに見つけました。

 娘の容態に新たな進展はなく、効果的な治療法が見つからないまま退院という言葉がでてきたそんな時にこのHPに出会い、希望が湧いてきました。

 本当はもっとたくさん書きたいのですが、これからまた付き添いのため病院に行かなくてはなりません。
 これからも、いろいろな情報を発信していただけたらとおもいます。
よろしくお願いします。

 [返事]

 はじめまして。
 メールをいただけたこと、とてもうれしく思います。

 娘さんが未だ入院中とのこと、先の見えない不安に、ご心労も増すばかりと、お察しします。

 彩花も2月の発症から6月末の退院まで、4ヶ月半入院しておりましたが、とてもつらい日々でした。
 特に、入院後3ヶ月が近づくと医療保険の点数が下がるためか、退院するように言われ、これからどうしていけば良いのか、この子はどうなっていくのかも分からず、途方にくれた時期がありました。
 結局、ほしい情報が病院側から得られず、知り合い等を通じてリハビリに力を入れている病院に転院したのです。

 やはり、親が必要とする情報は親自身が発信しなければと、このHPを立ち上げたのですが、このようなご感想をいただけると、こちらも勇気付けられます。今後も情報交換をさせていただけたらと思っています。どうぞ、よろしくお願いします。

 それでは、これから暑くなりますが、お身体には十分お気を付けください。


No.5[てんかんの娘さんを持つお母さんから]

 はじめまして。

 彩花ちゃんのホームページ、拝見させて頂きました。それを知ったのは、「波」(日本てんかん協会会報)7月号に彩花ちゃんのお父さんが投稿された文章を読んだからです。
 実は、私は7月に「波の会」に入会したばかりなんです。とりあえず今日は「ホームページをみましたよ。」ということでメールを送りました。

 彩花ちゃんのホームページに興味があり、私の娘も後遺症でそうなったわけではありませんが、『てんかん』の病気です。今は1歳7ヵ月になりましたが、まだ寝返りもお座りもできません。6月10日から発作のコントロールのため再入院しています。退院はまだまだです。7月中は確実に病院です。

 私自身、出産前までパソコンを使った仕事をしていましたが、インターネットには今いち興味がありませんでした。でも、娘が1歳半になり、身障手帳をもらったのをきっかけに、障害のこと、病気のこと、その他幅広い面でいろいろな情報を得て、またそれを活かして娘のために役立てればいいと思い、「波の会」にも入会し、インターネットも始めました。
 私もインターネットに関しては初心者なので、まだまだ勉強不足ですが、そのうち「娘のホームページ」を作成していきたいと思っています。
  また、気が向いたらで結構ですから返事下さい。

 [返事]

 メールをいただけたこと、喜んでいます。

 もう1ヶ月以上も入院しておられるんですね。病院通いでお疲れは出てきていませんか。大変だろうとお察しします。発作のコントロールがうまくいくことを、お祈りしています。

 私もやはり、彩花のことがなければインターネットとは縁がなかったと思います。今でも主人に助けてもらわないと、パソコンとはうまく付き合えません。

 娘さんのホームページ、できることを楽しみにしています。


No.6[急性壊死性脳症の後遺症を持つ息子さんのお母さんから]

 はじめまして、先日「波」(日本てんかん協会会報)を読みまして、すぐにホームページを覗かせていただきました。

 我家の次男も脳症の後遺症で重度の障害を残しました。
 それは7歳のことです。忘れることはできません、平成8年1月11日の夜39度6分の熱を出しました。元気はあったので座薬を入れて寝かしました。
 翌日も熱は下がらず学校を休み子供は喜んでいたくらいでした。少し寝た後「ふらふらして歩けない」と訴えこれはおかしい、慌てて病院へ走りました。病院の処置室で見てる間に意識が無くなっていく我が子をどうすることもできないもどかしさと、いったい何がどうなっているのか分かりませんでした。その時のCTでは異常は見られなく髄液の検査でタンパクの上昇が見られ髄膜炎の疑いですぐ入院いたしました。

 その後痙攣が始まり硬直様の姿勢になってすぐに大学病院へ救急車で運ばれました。
 MRIの結果大変な状態と言うのが素人が見ても分かるくらいでした。今夜もつかどうか・・・と言われ気が狂いそうでした。1月13日の事です。熱が出はじめてまだそんなに時間がたっていないのに・・・と信じられませんでした。

 子供の最後の言葉が、まだ昨日の昼までしゃべっていた言葉が「お母さん大好き」。学校を休んでうれしくってこんなことを言っていたのです。

 今でもつらいです。助かってくれたけど元には戻らない。次男は約1ヶ月意識が無かったのですが今ではしゃべることができます。記憶もあるんです。でも随分バックしてしまって・・・・

 ここまで3年半いろいろありました。書いていたらとっても長くなりそうです。お話してみたいですね。

 次男についた病名は「急性壊死性脳症」でした。原因不明で菌、ウィルスなどは出てきませんでした。いろいろ検査してやっと病名を聞かされたとき聞いたことが無いけれど文字から想像できる壊死性と言う言葉にショックを受けました。

 でも生きていてくれたことに感謝しています。
 元気だった頃の次男はそのまま私の胸で生きてますし今は今の姿をかみしめながらじっくりと・・・後悔したくないという思いからでしょうか、もう一度子育てをやり直しています。  

 [返事]

 はじめまして。メールをいただきありがとうございます。
 「波」とホームページをご覧いただけたこと、嬉しく思います。

 メールを読ませていただいて、息子さんのご様子と娘の経過とが重なり、胸がつまります。
 その後、息子さんは元気に学校に通っておられるのでしょうか。てんかんの発作などはないのでしょうか。もしよろしかったら、息子さんのことをお聞かせいただけませんか。

 私達の娘も来春就学です。現在、障害児学級に入れようか、養護学校にしようかと思案しています。障害のこと、学校のことなどこれからも情報交換をさせていただければと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。


No.7[インフルエンザ脳症の後遺症を持つ息子さんのお父さんから]

 はじめまして。
 ホームページを見させていただき、メールを書かせて頂きました。
 HPを読まさせて頂いて、ご両親のお気持ちが、強くわかるような気がいたします。

 実は、私の次男も今年の一月(生後10ヶ月時)に急性脳症になり、一時は彩花ちゃんと同じ様に、命も危ぶまれましたが、どうにか助かり現在はリハビリに頑張っております。
 うちの次男の場合には、それこそ突然に急性脳症になったために、発症当初からつい先日まで、原因を探っていましたが、結局、彩花ちゃんと同じ「インフルエンザ脳症」という病名に落ち着きました。

 お互いに、大変だと思いますが、頑張りましょう。
 また、何かの際には、お便りを差し上げるかも知れませんので、今後とも宜しくお願いいたします。

 [返事]

 はじめまして。ホームページを見ていただけて、嬉しく思います。

 「専業主夫」をされているのですね。朝日新聞の家庭面に毎週、育児休業されているお父さんの手記が掲載されているのを、かかさず読んでいます。まだまだ少数派でしょうが、エールを送りたい気持ちです。

 今後も情報交換などさせていただけたらと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

 

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1999年8月分

No.8[脳腫瘍の後遺症を持つ娘さんのお母さんから]

 今日、波(てんかん協会の会報の名称)の手記、彩花ちゃんのホームページ、読ませていただきました。

 私の娘は2歳のとき脳腫瘍になり、後遺症として重い障害と、てんかんがあります。私どもの娘も、それまでは健康な、ごく普通の子供でした。病気がわかったときには、助からないかも、と医師から言われ、実際同じ病気の子供が何人も亡くなったのですが、娘は奇跡的にも助かりました。摘出手術や、放射線、化学療法など、小さい体で精一杯病気と戦い、やっと再発の不安がなくなったころに、てんかんを発症しました。それ以来、もう発作との付き合いは四年目になります。

 10月で10歳になります。養護学校の四年生です。

 原因となった病気は違いますが、ご両親の気持ちはとってもよくわかります。私もしばらくは、病気になる前の写真などを見る事ができませんでした。でも今は,部屋に飾っていますけど。

 彩花ちゃんは、少しづつですが確実に成長していますね。私の娘も運動面は、彩花ちゃんと同じくらいかなあ、知的面は歳の分くらい、お姉ちゃんかなあと言ったところです。

 波の手記に書かれていましたが、発作がコントロールされていてうらやましいです。娘の発作にもセパゾンが効くのでは?などと思ってしまいます。

 保育園での彩花ちゃんだより、いいですね。娘も公立の幼稚園に行きました。介助の先生をひとりつけてもらっていましたが、年長になったときに発作がで出したので、なかなか大変でした。就学も本当に悩みましたよ。公立の小学校は、歩いて10分、養護学校は車で30分です。毎日送り迎えしています。大変ですが1対1でみてもらえるため、いい事もいっぱいあります。地域の小学校には交流という形で、時々行っています。

 初めてお便りするのに、あつかましくいっぱい書いてしまいました。また、少し余裕が出てきたら、お母さんの時間、お父さんの時間も作ってくださいね。そしてまた、彩花ちゃんと、楽しい事いっぱい見つけてください。

 ほんとに長々書いてごめんなさい。それではまた。

 [返事]

 「波」の手記とホームページをご覧いただき、共感くださってありがとうございます。

 娘さんは小さな時に、手術、放射線、化学療法と苦しいことをたくさん経験されてきたのですね。その時のご家族のご心労は言葉にできないほどのものであったろうと思います。

 そして、再発の不安がなくなった頃に、てんかんを発症されたとのこと、追い討ちをかけられたような思いを抱かれたのではないでしょうか。

 就学の問題、本当に悩みます。現行の体制の中では、本人のレベルからいえば、養護学校ということになるのでしょう。それこそ地域の小学校に養護学校の先生を派遣してもらえたらいいのに、と思ったりします。確かに同じレベルの子供を集めたほうが教育効果はあるのかも知れません。しかし、健常児に障害児のことを日常的に知ってもらうことも教育なのではという思いも抱くのです。
 ノーマライゼーションとか統合教育とか言いますが、現実的にはなかなか厳しいものですね。

 娘さんは彩花よりお姉さんですし、またいろいろと教えていただけると嬉しいです。これらもよろしくお願いします。

 [同じお母さんから]

 早速、お返事くださってありがとうございます。

 今日、あらためてホームページを読みなおしました。
 何度読んでも、涙が出てきます。彩花ちゃんが、病気になってからまだ一年と少し。ご両親の前向きな考え方に、頭が下がります。

 就学のことですが、発作がコントロールできていたら、娘も迷わず地域の小学校に行かせていたと思います。小学校から養護学校に編入するのは簡単だが、その逆は難しいって聞いたことがあります。娘の場合はとにかく発作が多い事、また体温調節などにも不安があったので養護学校を選びました。これでよかったかどうかはわかりませんが、仕方ないなあという感じです。

 波の会で知り合ったお母さんたち8人で交換ノートをしています。ちょうど先日から私のところに、ノートが来ていたので、彩花ちゃんのホームページをコピーして一緒にまわしました。勝手に、ごめんなさいね。みんな、共感してくれると思います。

 それでは、また。

 [返事]

 ホームページをコピーまでとって、知り合いのお母さん方にまわしていただいたとのこと、ありがとうございます。お気持ちがうれしいです。

 病気になってから1年以上が過ぎましたが、まだまだ気持ちは揺らぎ、前向きになれる時もあれば、落ち込みの激しい時もあります。
 そんな中で、ホームページを開設し、多くの方からメールをいただきました。メールをいただけると、とても励みになり、心の支えになります。

 娘さんも体温調節がむずかしいのですね。彩花も汗をあまりかかないので、気温が上がると体温も上がってきます。昨年の夏は退院後すぐのこともあり、家で過ごしていましたが、今年は保育所で本格的な暑さと向き合うことになりそうです。この夏を乗り切って、体力をつけてくれることを期待しているところです。

 それでは、これからも暑い日が続きますが、お身体にはお気を付けください。 


No.9[ライ症候群の後遺症を持つ息子さんのお母さんから]

 HP見せて頂きました。

 うちの子と同じような経過に、変な言い方ですが、親近感を覚えました。3才5ヶ月になります。平成10年2月24日、2才の誕生日の3日前に発症しました。ライ症候群だということです。

 生死の境を彷徨い、奇跡的に還ってきてくれました。だから勿論(というのでしょうか?)後遺症の障害は重く、寝たきりの状態です。

 それでも、死ぬと宣告されたときのことを思えば、生きていてくれるだけで儲けものという感じでいます。

 まだ抵抗力がつかず、風邪をひいては入退院を繰り返しています。自分達の生活リズムを作るのに精一杯の私達夫婦に比べ、彩花ちゃんの御両親は素晴らしいですね。

 わが子を想う気持ちは同じでも、「他にも同じ様な人達がいるのでは?何か出来るのでは?」と、行動には中々移せないことだと思うのです。

 前向きに生きて行こうと、口では言っていましたが、それが無理せず普通に出来るようになったのは、1年5ヶ月振りの笑顔を見てからでした。少しずつ、本当に少しずつ、反応が出て来て、幸せを噛み締めています。

 私もほんの少しだけ周りを見る余裕も出て来たので、こうして色々な方のお話を伺って、パワーを分けて頂いています。

 これからも、ちょくちょくHP見せて頂きますね。更新も楽しみにしています。でも、あまり御無理なさらないよう、お体には呉々もお気を付け下さいね。

 お互い、愛するわが子と共に、マイペースで頑張りましょう。いきなりのメールで、失礼致しました。彩花ちゃんにも、よろしくお伝え下さいね。

 [返事]

 はじめまして。ホームページをご覧いただき、メールを下さったこと、すごく嬉しく思います。

 息子さんはライ症候群なんですね。発病から今日までの経過、言葉では言い表せないご苦労があったこととお察しします。

 ようやく、笑顔が見られるようになったとのこと、本当に良かったですね。私達夫婦も、彩花の笑顔に何度となく救われた思いをしてきました。無表情で何の反応もなかったときが、本当につらかったです。

 息子さんの笑顔がはずみになって、さらに良くなっていかれることをお祈りします。

 私達もいつも前向きでいられるわけではありません。彩花の元気なころを思い出して涙を流したり、日々繰り返される生活に閉塞感を抱いて落ち込んだりしながら、暮らしています。

 そんな暮らしの中で、ご感想や激励のメールをいただけると、とても元気づけられます。HPの充実にも努めたいと思っています。

 また、息子さんのご様子などメールでお聞かせいただけるとうれしいです。これからもよろしくお願いします。


No.10[原因不明の急性脳症の後遺症を持つ息子さんのお母さんから]

 はじめまして。HPを見てメールを書かせていただきました。

 私の子どもは、去年の夏、3才の時に急性脳症になり、後遺症が残りました。原因は不明だったのですが、彩花ちゃんの経過ととても似ている部分が多く、我が子に起こった出来事を思い起こしながら読みました。
 お母さんのお気持ち、胸に響きました。

 お父さんの文章を拝見して、あ、と思いました。それは、私が以前朝日新聞で拝見し、「本当にその通り。私の気持ちを代弁してくれている。」と思って切り抜いておいたものと同じだったからです。親の願いを、これからの子どもたちのためにも、社会に向かって発言して下さり、ありがとうございます。

 [返事]

 はじめまして。

 私達のHPをご覧いただき、メールを送ってくださったこと、嬉しく思います。また、新聞の投書を切りぬいていただいていたとのこと、感激しました。 


No.11[インフルエンザ脳症の後遺症を持つ息子さんのお母さんから]

 ホ−ムペ−ジ拝見しました。うちの息子も3歳1ヶ月の時(平成1年)に急性脳炎で  緊急入院しましたが、最近の病院の診断でインフルエンザ脳症であっただろうと診断されました。現在後遺症として知的障害が残りました。

 あやかちゃんのホ−ムペ−ジを読むと世の中には私たちとおなじ悩みを持った人がいることを知り心強く思いました。またインタ−ネットってすごいなあ、癒しの音楽が今はやりですが、いっしょに頑張っている人がいてインタ−ネットの情報は私にとって癒しだなあと思いました。

 3歳で発病してからド−マン法のリハビリを5歳−7歳まで近所のひとの力を借りてやりました。今は中学1年生で普通学級に通ってます。

 ではまたメ−ルしますね。

 [返事]

 はじめまして。

 ホームページをご覧いただき、メールをくださったこと、喜んでいます。私達のHPが「癒し」の一助になれたのであれば、ほんとうに嬉しい限りです。

 息子さんは最近、インフルエンザ脳症であろうと判明したのですね。8年前には、お医者さんの間でも、あまり知られていない病気であっただろうし、原因も分からず、ずいぶん悩まれたのではないかと思います。不安や孤独の中で、苦しい思いもされてきたのではないでしょうか。

 厳しいドーマン法によるリハビリを続けられたご努力には恐れ入ります。その甲斐もあってでしょう、今は普通学級に通う中学生になっておられるのですね。息子さんの存在は、私達にとって、とても心強く、希望を抱かせてくれます。

 彩花が発病してからまだ1年半、私達は歩みだしたばかりです。もしよろしければ、息子さんのご様子や先輩としてアドバイスなど、お聞かせいただけると嬉しいです。

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1999年10月分

No.12[知的障害者の作業所の指導員さんから]

はじめまして。

わたしは知的障害者の地域作業所の指導員をしています。

職場で波の会の会報を読みこのHPを知りました。

うちの作業所には17人の仲間がいます。

重度の知的障害の方がほとんどで、てんかん発作を持っている方も何人かいます。

年齢は20代の方が中心です。

下請け作業をやって、少ないですけどお給料も出ています。

みんな月に一回のカラオケと年に一回の旅行を楽しみにしています。

大変なこともありますが、みんなと一緒にいるのが楽しくて仕事を続けることができてます。

言葉のない方もいますが、手をつないだとき手をぎゅっと握ってくれたとか、おしっこに行きたいとき知らせてくれたとか、そんなことに喜びを感じています。

年齢は違いますが、うちの仲間にも彩花ちゃんにもたくさんの可能性があります。

それを見つけてあげるのが周りにいる者の仕事なのではと思ってます。

可能性の芽を伸ばすのも周りの人間次第です。

訓練などいろいろ大変だと思いますが、がんばってください。

 [返事]

はじめまして。

 「波」と私たちのHPをご覧くださって、メールをいただけたこと、嬉しく思います。

 親御さん以外の方からのメールは初めてです。医療関係者や福祉関係者からの反響もあったら良いのになと思っていたので、喜んでいます。

 可能性を見つけるのが周りにいる者の仕事だという言葉、響いてきました。

 彩花は、来春就学ですが、知的レベルはまだ乳児です。大人になったら作業所に通えるくらいになっていると良いのになと思っています。

 作業所の仕事、大変だろうとお察しします。

 しんどい中にあっても、あたたかい目と心を持っておられるからこそ、小さな出来事にも喜びを感じられるのでしょうね。

 これからも、ご活躍をお祈りしています。

 それでは、今後とも、よろしくお願いします。


No.13[インフルエンザ脳症の後遺症を持つ娘さんのご両親から]

 はじめまして

 HP見ました。あまりに自分の娘と同じ様な事が書いてあるのに驚きと共にこの様な体験をしていらっしゃるのにHPを立ち上げりっぱだと思いました。

 娘も年少の4才の時(平成10年2月)にインフルエンザ脳症になってしまい、後遺症(重度障害)を残してしまいました。

 発病から1日で意識不明になり、約3ケ月意識障害の為、反応がまったくありませんでした。その後、少しずつ反応がでてきました。

 約8ケ月間、大学病院に入院後、療育センターに3ケ月母子入所をし平成11年自宅に戻ってきました。

 身体障害も1級であり、歩く事もできませんが、日に日に進歩はしているので、もう一度赤ちゃんからやり直しているんだと思って、リハビリを続けている毎日です。

 知能障害は体が動かしづらい事もあり、どの位あるのかわかりませんが最近言葉もではじめています。

 今は来年小学校に入学の為、学校選びで迷っています。

 私事ばかりになってしまいましたが

後遺症を持つお子さんとご家族の方がおられ ましたら、ともに分かち合いたい、ともに歩んでいきたいとの思いから、このページを開設しました。

 私達も同じ様な気持ちでいますので、これからもよろしくお願い致します。(父より)

 

 同じく驚きとHPを読むことができた感謝の気持ちで一杯です。

 今までの事、そして現在とこれからについて等お話ししたい事が沢山あります。これからもメールを送らせて下さい。よろしくお願います。(母より)

 [返事]

 はじめまして。

 HPご覧くださり、メールいただけたこと、とても嬉しく思います。

 発病、そして長い入院生活、この間には、言葉に言い表せないほどの悲しく、苦しい時期があったこととお察しします。

 同じ病気で、同い年、そして同じ時期に発病されたお子さんをお持ちの方とお出会いするのは、初めてです。

 私たちにとっては、患者会やHPを通じて私たちの思いを発信すること、そこで交流すること、共有共感することが、「癒し」につながりました。もし私たちでよろしければ、お話伺わせてください。また、就学のことやその他いろいろと、情報交換をさせていただきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

 私たちは、HPの「患者会の情報」のページに紹介していますように、「障害児を普通学校に・全国連絡会」の会員になっています。

 地域の学校に通うのがあるべき姿だと考えており、そのように希望していることを教育委員会には伝えています。養護学校へ行きますと言えばそれで話は終わってしまいますし、すぐに話が終わってしまったのでは、納得できないモノが残ると思うからです。もちろん教育委員会には、また療育・訓練の関係者からも、養護学校を勧められています。実際のところ、娘は未だ親のことすら分かっているのかどうかという知的レベルですので、今の娘にとっては、今の教育の体制の中では、養護学校を選んだ方がいいのかなと思ってしまいます。

 これまで、地域の小学校、肢体不自由児の養護学校、知的障害児の養護学校、国立大学の附属養護学校に見学に行きました。

 それぞれの学校の体験入学を終えた上で、最終的に親の思いを決めようと思っているところです。

 それでは、今後ともよろしくお願いします。


No.14[インフルエンザ脳症の後遺症を持つ息子さんのお母さんから]

 はじめまして。

 彩花ちゃんの部屋を読ませていただきました。

 我が家の長男も平成10年2月7日にインフルエンザによる急性脳症を起こし 一命は取り留めましたが重度の後遺症を残しました。

 現在何とかちょっとでも良くなる様にリハビリなど毎日頑張っています。

  我が家には今までインターネットはなっかたのですが、 どうしても脳症のお子さんの情報が得られればと思い、機械に弱い私でしたが、 思い切ってはじめました。

 そして、彩花ちゃんに出会うことができました。

  長男は今3歳4ヶ月です。 3歳なのに体重は18Kgもあり、どう見ても5歳ぐらいにしか見られません。

 病気をする前は電車と飛行機をこよなく愛する元気な元気な笑顔の男の子でした。

 今は、揺らされる事が一番好きみたいです。

 PTのボールや通園のトランポリンは 声を出して笑うようになってきました。

  たった1度の風邪でこんなひどい事になるなんて夢にも思いませんでしたが、 たった1日で今まで私にしがみついていた息子が寝たきりになってしまう、いや、ひょっとすると この手から消えてしまうかもしれない。

 あまりにも突然の残酷な出来事でした。

  あれから1年と8ヶ月がたち まだまだ首もすわらないし、目も追うこともないけれど、 少しずつ筋緊張もとれて、揺らしたり声をかけると(自分のことと解っているかは解りませんが) 笑顔が出るようになってきました。

 これからどのように変わって行くのか全く見当もつきませんが、 絶対諦めずこれからもがんばります。

  彩花ちゃんも頑張って下さい。

 また、勇気をくれてどうもありがとう。

 またメール出してもいいですか?

  これからまた風邪の流行る嫌な季節ですね。

 彩花ちゃん、ママどうか気をつけてください。

 今年は11月にインフルエンザの予防接種をうつことにしました。

 それでは、また。

 [返事]

 はじめまして。

 HPご覧いただき、メールをくださったこと、嬉しく思います。

 「勇気をくれてどうもありがとう」と書いてくださったこと、私たちにとっても励みになり、癒しにもなります。

 同じ時期に発病されたのですね。

 息子さんも彩花と同じような目にあったのかと思うと、ほんとうに胸が痛みます。

 息子さんへの愛おしさがこみあげてきます。

 私たちがインターネットを始めたのも、情報がほしかったからなのですが、なかなか必要とする情報が見あたらず、こうなったら自らが知り得た情報を発信しようと思い至ることになったのです。

 彩花もトランポリン好きですよ。

 家ではベッドで飛び跳ねることが、この上ない喜びのようです。

 親よりもベッドが好きというのには、少し寂しくなりますが・・・。

 私たちは彩花のことを書くこと、話すことでずいぶん癒されてきました。

 もし、私たちでよろしければ、息子さんのこと、もっとお聞かせください。

 それでは、これからもよろしくお願いします。

[同じお母さんから]

 メールのお返事ありがとうございます。

 息子の事を解ってくれる方が増えてくれるって、すごく嬉しいですね。 本当にありがとう。

  彩花ちゃんのHPに是非我が家の息子の事も載せて下さい。 息子の事を知って、良い情報や同じ痛みを持つ方の励みにでもなれば、幸いです。

  息子の病気の経緯は H10.2.6 PM11:00 38,4度の熱をだす。

 座薬を使うと朝までには37度台までに下がる。

 心配なので父が病院に診察券を出しに行き、9時の回診と同時に診てもらう。

 また、風邪をもらったね。ということで薬をもらって帰る。

  いつもと違い調子が悪いと見えて、ぐずり、ちょっと寝てもすぐ起きてしまい、 ママ、ママ、と言って離れないので、ずっと抱っこして うどんやイチゴなどなるべく好きなものをあげると、わずかではあるが食べてくれる。

 薬もいやいやだが飲んだ。(このとき薬を出してしまうので、怒ってしまった事を今でも後悔しています。)

  PM2:00過ぎもう少し寝かせようと抱いて布団の所まで行くと、痙攣をおこす。

  私と息子の2人っきりで、朝連れて行った病院へ電話。 この時息子の意識はすでにありませんでした。

  家から病院まで車で10分くらいの所なので、急いで行きました。

 息子の名前を何度叫んだでしょうか。 息子は、まっすぐに膠着したままでした。

  病院に運ばれ大きな痙攣は止めてもらいましたが、完全には止まらず、 痙攣を起こしてから40分もたってしまい、先生の知り合いの救急病院に転送になりました。

  救急病院に着いてからも1時間ほど痙攣は止まらず、最後は寝かしつけたようです。

  何の痙攣かまだ解らないので、とにかく明日まで待ちましょう。と、お医者様に言われ、 朝まで待ちましたが、息子は目を開けてはくれませんでした。

  次の日からいろいろな検査をし、脳症ということで 治療が始まりましたが、入院4日目にして脳圧がバンバン上がってしまい、 命の保証もどうなるか解らなくなってしまいました。

  肝機能も4000という数字までいってしまいました。

  けれど、息子はこの小さい体で精一杯頑張りました。 パパやママの何処得も行かないで、という声にしっかり答えてくれました。

  そして我が家の闘病生活が始まりました。

  ICUから出てからの事、また聞いてもらいたいと思います。 次のメールに書かせて下さい。

  息子の事聞いてもらえて良かったと、思います。 どうもありがとう。それでは、またお会いしたいです。

[返事]

 息子さんの病気の経緯、読ませていただきました。

 彩花と同じ時期に、同じような症状で苦しまれた息子さんのことを思うと、再び、胸が締めつけられる思いがしました。

  後悔していることってありますね。もっと好きなことさせてやれば良かったとか、こうしていたらとか・・・。

 「痙攣を止めてもらい、救急病院へ転送」、「脳圧がバンバン上がって命の保証もどうなるかわからない」など、彩花のこととだぶって、涙が出そうになります。

 息子さん、そんな中で頑張ったんですね。きっと、ママとパパの気持ちが通じたんだと思いますよ。

 また、私たちでよろしければ、その後の経過についてもお聞かせください。でも、ご無理はされないでくださいね。お互いマイペースでいきましょう。

 それでは、また。           

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1999年11月分

No.15 [インフルエンザ脳症の後遺症を持つ娘さんのお父さんから]

 HP見させていただきました

 私の七歳になる娘も平成9年1月にインフルエンザ脳症に罹り、一時は心肺停止状態になり、医師の方々の懸命の治療のおかげで一命をとりとめました。

 その後二ヶ月間の入院生活を送り、現在はリハビリのために専門機関に入所し、そこから養護学校に通学しています。

 退院時には、もう歩くことは無理かもしれないと主治医から言われたのですが、今では、よたよたしていますが頑張って自分の足で歩いています(時々さぼって車椅子で楽をしていますが・・・)

 ただ、人の話は理解できるのですが、自分では声がでず、ほとんど話すことができなくてちょっと不自由をしています。

 本当は自宅で生活をさせたいのですが、事情が有って父子家庭の為、自宅では介護ができず、専門機関に入所して、週末に自宅に帰る生活が続いています。

 また、娘はインフルエンザ脳症の後遺障害の他に、以前より特発性血小板減少性紫斑病という、完治するのか、しないのかも解らない結構、やっかいな病気にも罹っています。

 まだまだ手の掛かる娘ですが、親として出来るだけのことをしてあげようと考えています。

 自分に出来ることしかして上げられないんですから、どんなに大変なことであっても、出来ることはやって上げるように努力しています。

 ちょっと長くなりましたが、私たちの他にも、たくさんの方々が悩み、苦しみ、悲しみ、そして頑張っているのを知り勇気づけられました。

 あやかちゃんも頑張って生きているんですから、ご両親も頑張って下さい。

 [返事]

 はじめまして。

 私たちのHPをご覧くださり、メールをいただけたこと嬉しく思います。

 娘さんは心肺停止にまでなって、本当に危うい状態から、一命をとりとめられたとのこと、その時のお父さんのお気持ちは筆舌に尽くせないものがあったこととお察しします。

 また、その後の父子での生活も、大変でしょうが、そんな中ででも、できることをやってあげようとしておられるお父さんの思いに頭が下がります。

 でも、無理はされないでくださいね。お父さんが倒れられると大変です。マイペースで娘さんにとって最善と思われることを考えて行けたらよいですね。

 娘さんは彩花よりもお姉さんですので、またいろいろと教えてください。これからもよろしくお願いします。


No.16 [インフルエンザ脳症による後遺症児の親御さんを親友に持つお母さんから]

 はじめまして。

 私は、2才と10ヶ月のお母さんです。

 幸い、2人とも 健康に育っていますが、私の親友の息子さんがインフルエンザ脳症にかかり、現在硬膜下血腫で入院中なのです。

 何かしら、情報はないものかと、このHPにたどり着きました。

 同じ、子を持つ母として、涙が溢れてとまりません。

 彼女もきっと同じ思いをしてるに違いないかと思うと、胸が潰れそうです。

 1月に発症してから なんとなぐさめればよいかわからず、「大丈夫、子供の脳は、お医者さんでもわかってないんだから、あなたがしっかりして!」等と、今考えると、何と無責任な(そんなつもりは全く無いけど)ことをいっていたのかと。

 どうか、教えて下さい。

 私は、何もしてあげられないのでしょうか。

 何もしてはいけないのでしょうか。

 健康な子を持つ私は、何を言ってもヒトゴトになってしまうのでしょうか。

 彼女をなんとか励ましたいのです。

 もしよろしければ、お返事ください。

 最後になりましたが、あやかちゃん、がんばってください。お祈りしてます。

 [返事]

 はじめまして。

 ホームページをご覧くださり、メールをいただきまして、ありがとうございました。

 インフルエンザ脳症による後遺症を持つ方のお知り合いからメールをいただいたのは、初めてです。喜んでいます。そのお友だちのことを思っておられる、あたたかいお気持ちが、伝わってきました。私まで嬉しい気持ちにさせられました。

 そのお子さんの経過や、親御さんのお気持ちがわかりませんので、どんな風に言葉をおかけしたらいいのか迷いますが、私が今まで感じてきたことを、書かせていただきたく思います。

 このことは突然起こります。そのショックは大きく、当初は心身共に極度に追いつめられます。心配し気にかけてくださる方がおられ、そのお気持ちには感謝しました。しかし正直なところ、わが子に起こったことを話すのはとても辛いことでした。そっとしておいて欲しい、誰にも会いたくないと思っていました。

 発病から4ヶ月半後、彩花の退院の時期に合わせて引っ越し、環境を変えました。

 それからは彩花のことを話すようにしました。周りの反応は、様々だったように思います。あんまり関心がない、そのことには触れないようにする、どう声をかけたらいいかわからない、頑張ってと言ってとりあえず励ます、そんなことがあるのねと驚く、かわいそうにと気の毒がる、知り合いの障害をもつ人のことを話す、その人がどんなに明るく前向きに生きているかを話す、何か力になれることがあったら教えてねと言う・・・。

 悲嘆にくれている頃、私にとってありがたかったのは、彩花のことや私の気持ちを、ただただ聞いて、一緒に泣いてくれる人でした。もしあなたの立場だったらと考えてくれる人には、感謝しました。しなやかな想像力のある対応には、あたたかいものを感じました。

 頑張ってねと言われるより、あなたは十分に頑張っていると言ってもらう方が、強いわねと言われるより、強くならざるを得ないことをわかろうとしてもらえる方が、立ち直って前向きになろうねと言われるより、弱音や泣き言を聞いてもらえる方が、慰めや支えになったように思います。

 少しずつ気持ちも落ち着き、今の彩花と共に生きていくことを考えだすようになってからは、彩花のこと、私のことを、受け入れ、認め、あたたかい目で見守ってくれるような、また一緒に考えてくれるような対応をありがたく思いました。自分や家族の、生や生き方を見つめ直してくれた人には、話して良かったと思えました。

 こういう立場になると、人の優しさがよくわかります。思いやりや想像力、価値観や人としての豊かさまでもわかるような気がすることがあります。

 人の痛みに触れることにためらう気持ちを持つのは、自然なことだと思います。痛みに触れられたくないと思う人もいるでしょう。痛みをわかってもらうことで救われる人もいることでしょう。

 人の気持ちを理解することは、ほんとうに難しいことだと思います。でも、理解しようとすることは、できるように思います。

 人の気持ちはいろいろです。受け止め方もさまざまです。私も気がつかないうちに、人を傷つけていることがあるのだろうと思います。私が大事にしたいと思っているのは、その人の気持ちにできるだけそうことです。寄りそおうとすること、無理強いしないこと、受け入れ認めようとすることに、努めたいと思っています。

 わかってあげたいという気持ち、力になってあげたいという気持ち、その方のことを思う気持ちは、きっと伝わるのではないかと思います。どうか力になってあげてください。

 もしその方が、孤独や不安の中で生活しておられるようでしたら、同じような体験をしている者があることを、ひとりではないことを、お伝えいただければと思います。

 ここに書かせていただいたことを、押しつけようなどとは思っていません。身勝手な思いかもしれません。このことを体験した者の中の、ひとりでしかない私の思いです。

 長くなってしまい申し訳ありませんでした。おつきあいいただきまして、ありがとうございました。


No.17 [脳性麻痺の息子さんを持つお母さんから]

 はじめまして。

 ホームページを読ませて頂いて、涙が止まりませんでした。

 私の5歳10ヶ月になる双子の長男は、生後まもなく頭蓋内出血が原因で、重度の脳性麻痺になりました。

 呼吸中枢に問題があって、無呼吸をよく起こし、24時間、息子の呼吸を確認する日々でした。

 それでも時々呼吸を止めては、苦しくなり、その度に、心臓が止まる思いで、酸素吸入や人工呼吸をしました。

 4歳のときには、呼吸停止を起こし、いつもの処置では呼吸が戻らず、さすがにもう駄目だと、観念したほどです。

 さいわい、素人の人工呼吸でも、効果があったようで、2ヶ月にわたる入院の後、後遺症もなく、元気になりました。

 生まれたときは、元気だった長男を、なんと次男と同じように、元気な子にしようと、ありとあらゆる民間療法やリハビリを試しました。

 でも、あまりに障害が重いことと、体が弱いため、リハビリ等では、あまり効果はありませんでした。

 それでも私は、人間の持つ可能性を信じたいです。

 どうして医者は、損傷を受けた脳は絶対回復しないって言えるんでしょう。

 この世に絶対ってあるんでしょうか?

 障害児の子供を持つことで、私の人生は180度変わりました。

 出産後も育児休暇の後、仕事に復帰して、定年まで仕事をするつもりでしたが、長男を家で育てるため、なんの迷いもなく仕事を止めました。

 障害を持っていることを、否定的に考えるつもりは有りません。

 私は、長男から本当にたくさんのことを、教えられました。

 もしも、元気に育ってくれていたら、得られなかったこと、たくさんたくさん有ります。

 人生の中で、人間同士の絆がどんなに大切なのか教えてくれました。

 人生の意味も・・・・

 それでも、元気になって欲しい。

 何をして欲しいのか、何を考えてるのか伝えて欲しい、話して欲しい。

 自分の手を思いどおりに使えるようになって欲しい。

 大きくなったとき、自分の人生を楽しめるようになって欲しい。(息子の笑顔を見ていると、僕はこんなに愛されて、しあわせだよって、言ってる様にも思います。)

 私の長男は、生まれてからほんの数日間だけ元気でした。

 それでも、私は精神的に立ち直るのに、ほんとに長い間かかりました。

 あやかちゃんのお父さんとお母さんの強さと前向きな姿勢には、本当に頭が下がります。

 これからも、頑張りましょうね、お互いに。

 [返事]

 はじめまして。

 私たちのHPをご覧くださり、メールをいただけたこと、嬉しく思います。

 涙を流してくださったとのこと、共感いただけるところがあったたようで、ありがたく思います。

 息子さんは、出産後まもなく頭蓋内出血から脳性麻痺になってしまわれたのですね。

 喜びもつかの間、突然のことでショックは計り知れないものがあったろうとお察しします。

 その後も、いろんな困難を乗り越えてこられたのですね。

 彩花と息子さんは同い年ですね。

 彩花は、発病してからまだ2年もたっていませんので、私たちはまだまだ常に前向きというわけにはいきません。

 前向きでありたいと思ってはいるのですが。

 障害児の親としては始まったばかりと言うところでしょうか。

 先輩として、アドバイスいただけると嬉しいです。

 おっしゃているように、わが子が障害を持つことになったこのことは、人生を大きく揺さぶりましたよね。

 でも、こうなったからこそってことが、たくさんありますよね。

 私たちも、医者から「回復は期待できない」と言われたときには、とてもショックだったことを思い出します。

 しかし、その後リハビリの甲斐もあってか、運動面は回復していきました。

 しかし、知的な面はまだまだ赤ちゃんです。

 でも、私たちも彩花の可能性は信じてやろうと思っています。

 発達のスピードはゆっくりだろうとは思いますが、見守っていきたいと思います。

 お互い、先は長いですがマイペースでやっていきましょう。

 それでは、今後ともよろしくお願いします。

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1999年12月分

No.18 [急性脳症で息子さんを亡くされたお母さんから]

 はじめまして 

 私は34歳の主婦です。

 私には3人の子供がいますが、この3月にいちばん下の息子が(次男)脳症をおこして亡くなりました。

 一歳半になったばかりでした。

 経過は3月上旬に下痢風邪をひき、高熱を一回だけ出しましたが、その後は順調に回復。

 しかし二週間後にまた熱をだしました。

 風邪をひくと少々喘鳴の聞こえるたちだったのですが、主治医は呼吸の音は正常だというし、夜39.6度まで上昇した熱にもさほど慌てず、投薬と給水をして、寝かせました。

 しばらくして触ってみると、すっかり解熱して気持よさそうに寝ていたのですっかり油断してしまいました。

 それが最後になりました。

 朝、いつもより起きるのが遅かったので、ベッドに行ってみるとうつぶせで全身チアノーゼをおこし、心肺停止していました。

 鼻からは出血。

 まだ暖かかったので、救急車を呼びましたが病院で死亡が確認されました。

 高熱が続き、肺炎になるというような心配はしても、まさか発熱後数時間以内に脳症をおこして命をおとすなんてことがわが子におこるとは全く信じがたいことでした。

 よく裁判になったりしているのは、医師が親の訴えにまともにとりあってくれなかったケースが多いみたいですが、主治医に診てもらった時点での状態は非常によかったので、予測できなかったことを責める気にはなりませんでした。

 それを言うなら、夜間とはいえ自分が子供をつぶさに観察していなかったという自らの看護の手落ちを掘り下げていくつらい作業に身を投じなければならないのですから。

 喘鳴が聴こえることがあったので、ただの風邪をひいてもふつうのお母さんの倍は通院して万全を期してきました。

 そういう私の姿勢をみてきた主治医は、私が自分を責めることを予感してか、決してお母さんのせいではないからと何度も言ってくれました。

 解剖の担当医もこのような不幸な症例にはあたったことがないと溜息をついていました。

 解剖の結果は急性脳症とのことでしたが、その後の剖検では細気管支の閉塞箇所がみられたとのこと。

 しかし主治医も私も納得できませんでした。

 風邪をひけば肺のあちこちにそういう所見がみられるのが普通だし、前日夕の診察では院内を元気に歩き回り、肺炎の音も喘鳴もしていなかったというのに、数時間でただちに死に至るとは考えにくかったからです。

 ただ、就寝中に痙攣をおこしたりしたのかどうかは残念ながら確認できていません。

 みな睡眠していて次男をみていなかったので。

 脳症は心停止後に起こったのであって死因ではないという意見が出されていましたので、突然死の可能性も考えました。

 また体質のにた長男が、今夏に喘息の発作をはじめて起こしたことから、次男もあの日の明け方に生まれて始めての喘息の大発作をおこしていたのではとも思いました。

 ウイルスによる感染症が原因だろう(ウイルスは特定できませんでした)ということ以外に結局釈然としないまま今日を迎えています。

 一月末にも長男、次男、私の順にインフルエンザとみられる高熱と倦怠感を伴った症状に見舞われましたが、その際にはなにも起こらず、順調に回復しましたのに。

 回復したとき、この季節はいやだなあ、やれやれ早く春がこないかしらと思ったことを今でも思い出します。

 しかし次男には春はきませんでした。

 3,618gで生まれ、一ヵ月検診ではもう5,520gとなり、食欲旺盛で元気、機嫌のよいとても育てやすいかわいい子で、我が家の幸せの象徴でしたのに。

 今となってはちょこちょこと熱をだして少しずつ弱っていたのかも知れないと思います。

 ものを言えぬ乳幼児のことです、あんなに私を頼りにしていてくれたのに、助けてやれなかった。

 本人はさぞ無念だったことだろうと胸をかきむしる思いです。

 どんな後遺症が残ってもいいから救命してほしいと願いましたが、土地柄そんなに高度な医療も受けられず、そのまま独りで旅立って行きました。

 遺体を抱いて、ベランダから舞いたい衝動に駆られましたが、取り乱す私をみて母は大丈夫かと不安におびえる子供達をみて思いとどまりました。

 私の弟は知的障害をもっており、今だ親元から自立できずにいますので、父は、自分がわからなくなるような後遺症に見舞われるよりもこうして天にめされて幸せだったのではと言いました。

 しかし...生きていてほしかった。

 のこされた幼いきょうだいへの心理的な影響も多大なものがあり、今その方面を勉強中です。

 お子さんは助かったのですから、これからも回復を信じて支え支えられて生きて行って下さい。

 [返事]

 はじめまして。

 HPをご覧いただき、メールをいただきまして、ありがとうございました。

 また、ご自身のお辛い体験をお話しいただきまして、ありがとうございます。

 彩花の命も一時はどうなることかと心配もしました。

 また、この病気で亡くなられた方のお話を伺う機会もあります。

 身につまされる思いで、とても心が痛み、涙があふれてきました。

 先日、HPでも紹介している「インフルエンザ脳症・親の会 小さないのち」の第一回シンポジウムに参加してきました。

 シンポジウムの内容は、体験談と講演でした。

 体験を話されたおひとりのお子さんは、午後8時半にけいれんを起こし、2時間後には脳死、その夜のうちに亡くなられたということでした。

 もうおひとりのお話は、2ヶ月半の脳死状態を経て亡くなられたというものだったのですが、この2ヶ月半は死を受け入れるために必要な時間だったと言っておられました。

 何が起こったのか、何もわからないうちに、大切なわが子が突然いなくなってしまうなんて、なんて恐ろしいことかと思います。

 心は凍りつき、嵐が吹き荒れるようなお気持ちでいらっしゃるのではとお察しします。

 後悔や自責の念は私にもあるのですが、私のものよりはるかに大きいように思われ、お気持ちを思うと胸が締めつけられます。

 どうぞどうぞご自分を痛めつけらるようなことがありませんことをお祈りします。

 私には、同じような体験をされた方と交流することで、癒されてきた部分があります。

 ご存じかも知れませんが、「インフルエンザ脳症・親の会」の他にも、「乳幼児突然死症候群家族の会」というのがあります。

 もちろん私でよろしければ、またお話伺わせてください。

 最後になりましたが、お気持ちへの心配りに欠けるようなことがありましたら、どうぞお許しください。

 そしてどうぞお教えください。

 それではまた。どうぞご自愛ください。


No.19 [交通事故による頭部外傷の後遺症を持つ娘さんのお母さんから]

 はじめまして。

 娘も、中途障害です。

 リハビリの結果、ずいぶんとよくなりました。

 でも、やはり、「運動機能障害」や「高次脳機能障害」があります。

 難しいですよね。

 かけ算ができても、日常生活の時間の観念がわかない、そういう事があるってこと、なかなか理解してもらえない。

 「甘やかしてる」で、済まされちゃう。

 でも、頑張ります。

 子どもの脳の可能性を信じて。

 訓練、がんばって!

 娘も頑張りました。

 今も頑張ってます。

 もし良ければ、頭部外傷の会のこと、教えて下さい。

 情報がほしいんです。

 [返事]

 はじめまして。

 交通事故の恐ろしさをひしひしと感じると同時に、生死の境をさまよった娘さんのその後の急速な回復ぶりに驚きました。

 これも、娘さんの生命力と親御さんの涙ぐましい努力があってのことと思います。

 「頭部外傷や病気による後遺症を持つ若者と家族の会」については、全国に会員がいますが、どうしても活動の中心は関西となっています。

 年末に「ニュース23」で取り上げられたのですが、気づくのが遅く、お教えできませんでした。

 他にもいくつかの団体があるようですが、詳細についてはつかんでいません。

 以前、読売新聞で「21世紀への医療ルネサンス」という特集があり、「脳外傷を考える」という連載記事がありました。

 当時の記事が読売新聞のHPに転載されていますので、参考にお教えします。

http://www.yomiuri.co.jp/life/medical/index.htm

 それでは、今後ともよろしくお願いします。

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